変わったテーマスタートです^^;
おはようございます~^^
ブログ更新がしばらく空いてしまいました。--;
製作が立て込んでいるのもありますけどなんせ写真を撮る癖がちゃんとついていないのが悩みどころですね・・・
さて、今日はちょっと変わったテーマのスタートです。といっても実は着手したのは2年前・・・--)
海軍艦艇でないこともあったのでずっとほったらかし状態でした。なのでさすがに、「どうにかしないと!」と思いつつ、おそらくは不定期というか完成未定になると思いますが、通常の製作の合間の息抜きではないんですけどコツコツ進めたいと思っています。気長に完成までお付き合いくださいませ^^;
『氷川丸』です。

キットはハセガワのウォーターラインシリーズ『氷川丸』の貨客船時代のキットになります。日本郵船のシアトル航路へ就役するために設計、建造。昭和五年(1930)に竣工して昭和16年に海軍に病院船として徴用されるまで従事していました。当時としては最新の建造方法にディーゼル機関を搭載し、長航路、高速航海を可能にした高性能船でした。
LEDギミックを施して、暗くしたときにデッキや舷窓などちょっとロマンチックに演出したいと考えています。
下地処理として裏側に艶消しの黒を光が透過しないように吹き付けておきます。

舷窓も適当にドリルで開口していきました。デッキの窓格子はキットの裏側を薄く削ってから慎重に切り抜いていきました。

LEDのコードを通すための穴もあけておきます。今回はバラストを貼れないので中央にも固定用のナットを仕込んでおきました。
地元神奈川は横浜港に今現在も係留されている『氷川丸』。。。
建造から85年、船体の傷みもひどくなっているのでこのまま保存できるかどうか難しくなってきているそうですが、現代の技術と熱意でなんとか維持してほしいと願っています。戦前は高速貨客船として太平洋を横断し、戦時中は激戦区の南方に病院船として危険を冒して傷ついた兵士を救い続け生還し、戦後は復員船として各方面からの引き揚げのために奔走し、のちに再び貨客船として昭和35年まで働き続けました。
今回は華やかなりしころ、戦前の竣工後シアトル航路へ就役したころを製作したいと思います。
思い出したころにまた進捗を掲載する予定です^^;)
次回は継続中のテーマの掲載予定です。
ではでは(^^)/
ブログ更新がしばらく空いてしまいました。--;
製作が立て込んでいるのもありますけどなんせ写真を撮る癖がちゃんとついていないのが悩みどころですね・・・
さて、今日はちょっと変わったテーマのスタートです。といっても実は着手したのは2年前・・・--)
海軍艦艇でないこともあったのでずっとほったらかし状態でした。なのでさすがに、「どうにかしないと!」と思いつつ、おそらくは不定期というか完成未定になると思いますが、通常の製作の合間の息抜きではないんですけどコツコツ進めたいと思っています。気長に完成までお付き合いくださいませ^^;
『氷川丸』です。

キットはハセガワのウォーターラインシリーズ『氷川丸』の貨客船時代のキットになります。日本郵船のシアトル航路へ就役するために設計、建造。昭和五年(1930)に竣工して昭和16年に海軍に病院船として徴用されるまで従事していました。当時としては最新の建造方法にディーゼル機関を搭載し、長航路、高速航海を可能にした高性能船でした。
LEDギミックを施して、暗くしたときにデッキや舷窓などちょっとロマンチックに演出したいと考えています。
下地処理として裏側に艶消しの黒を光が透過しないように吹き付けておきます。

舷窓も適当にドリルで開口していきました。デッキの窓格子はキットの裏側を薄く削ってから慎重に切り抜いていきました。

LEDのコードを通すための穴もあけておきます。今回はバラストを貼れないので中央にも固定用のナットを仕込んでおきました。
地元神奈川は横浜港に今現在も係留されている『氷川丸』。。。
建造から85年、船体の傷みもひどくなっているのでこのまま保存できるかどうか難しくなってきているそうですが、現代の技術と熱意でなんとか維持してほしいと願っています。戦前は高速貨客船として太平洋を横断し、戦時中は激戦区の南方に病院船として危険を冒して傷ついた兵士を救い続け生還し、戦後は復員船として各方面からの引き揚げのために奔走し、のちに再び貨客船として昭和35年まで働き続けました。
今回は華やかなりしころ、戦前の竣工後シアトル航路へ就役したころを製作したいと思います。
思い出したころにまた進捗を掲載する予定です^^;)
次回は継続中のテーマの掲載予定です。
ではでは(^^)/
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