『大淀』舷窓の疑問?(@@)

今月も今日で終わりですが・・・・

盆明けからまだまだ残暑が続くのかなと思いつつ急に涼しくなってびっくり(@@)
なんだか梅雨に逆戻りしたような陽気ですが…
夕暮れツクツクホーシとヒグラシに鈴虫、コオロギが一緒に鳴いているのを聞くと妙な感じでもあります。

さて、今回はまた違った考証ネタ?です^^;

・・・というのも

『大淀』なんですが、かねてからの疑問で写真を見ていてこれは舷窓?
と思ったからです。

終戦後、呉工廠で解体された『大淀』ですが、その時の写真が残されています。
ちょっとわかりづらいんですが…

まず一枚目




少しでもわかりやすくするためにコントラストを強調してみましたけど
船体の中甲板の高さに確かに舷窓をふさぐために貼り付けられた”蓋”が確認できます。

続いて二枚目

oyodo-study03.jpg

これはサルベージされるときの大破着底して右側に倒れている状態の写真です。

左舷の後部が写っていますが、やはり中甲板の高さに舷窓の蓋が確認できます。また、上甲板の舷窓もかなり塞がれています。

続いて3枚目・・・

oyodo-study01.jpg

これは終戦まじかの昭和20年に空襲で煙突下に直撃を受けて煙突などが大きく壊れてしまった時の写真なのですが
ちょうど高角砲の間のボートダビッドがたたまれているところに舷窓が確認できます。

竣工直後とされている昭和18年6月撮影の右舷の全景写真はあまりにも有名なのですが、この部分の舷窓は確認できます。
艦首、艦尾の中甲板の高さに舷窓があったかどうかは写真では強く影のようになっていてよくわかりませんし、逆に修正が施されている可能性もあります。

現在リリースされているアオシマのキットなどはこのあたりの再現はされていません。
これは全くの個人的な推測なのですが、光人社から出版されている日本海軍艦艇写真集に記事として掲載されている水野氏の作図を参考にしたと考えられます。ただ、この図面自体はあくまで概要を図にした程度でそのほかに図面集として出版されている『大淀』のものにも上甲板の舷窓はともかく中甲板の高さの塞がれていた舷窓については表記されていません。

もっとも最初から塞いで竣工就役したのであれば記録する必要性も低いと思うので残されていないのも至極当然なんだろうと思います。

ただ・・・この話題自体すでに当の昔から指摘されていてそれなりの考察もまとまっているのかもしれないので、
工場長が『単に今頃気づいた!』だけ、なんだと思いますが(;^ω^)

では、大体でもどのあたりに最初、舷窓があったのか?
という疑問も残ります。

同時期に計画設計された『阿賀野型』を参考に推測するしか今のところないのですが・・・
タイミング的にネームシップの『阿賀野』と二番艦の『能代』は竣工当時かなりの数の舷窓があり、『矢矧』『酒匂』に至っては急に戦訓を反映して舷窓の数が減りました。
とすると、『阿賀野』とほぼ同じ船体設計のコンセプトのスタートで、建造途中で昭和18年の戦訓対応を先取りして手を付けられるところはつけた、と推理できるのではないか?

悩ましいところです^^;

長々と読みづらい記事になりまして恐縮です。
おそらくは占領中の米軍の写真がもっとあるだろうと期待しつつ、新しい記録資料が出てきてほしいものです。

帝国海軍の艦艇の中でも、その建造目的からして非常に独特な潜水戦隊旗艦用軽巡洋艦『大淀』。
のちに連合艦隊旗艦に改装されたは周知ですが、調べれば調べるほど実に数奇で興味深い巡洋艦です。

ではでは(^^)/

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